十二潟は阿賀野川の乱流蛇行時の面影を今に残す三日月湖です。
 かつては阿賀野川の本流で、1917年(大正6年)、当時の内務省により阿賀野川の大改修工事が始まり、蛇行部分が堤防によって切り離され、十二潟の原型ができました。
 その後、蛇行部分が廃川となり、民間への払い下げで個人所有地となり、現在に至っています。
 かつては川幅が48間(約87メートル)もあり、対岸の耕作地への往来には「たぐり舟」を使っていたといわれています。
 面積は約6ヘクタールほどに残り、土地改良区の水路部分以外は個人所有地のため、埋め立てや不法投棄などにより約1.6ヘクタールほどの水面が残るのみとなっています。
 そのような状況の中で、2001年(平成13年)に、旧豊栄市で住民自治の組織として岡方地区コミュニティ委員会が立ち上げられ、ここで、地域の共通資源であり、課題でもあった十二潟の環境保全に焦点があてられました。
 不法投棄対策として、毎年50~60人による一斉清掃がコミュニティ事業として行われており、ごみの量は年々減少しています。
 2007年(平成19年)、2008年(平成20年)には、新潟市が十二潟の植生・生物調査を実施した結果、アサザ、ガガブタの群生をはじめ、動植物161種類が確認され、十二潟固有の生態が残っていることもわかりました。
 特にアサザは「長花柱花」と「短花柱花」という異なるタイプの花粉をやりとりすることで種子が生産されますが、十二潟のアサザは自家和合性が高く「等花柱花」という非常に珍しいタイプの花型であることも明らかになっています。
 2012年(平成24年)からは、地元の岡方第一小学校の総合学習の時間を利用し、岡方地区コミュニティ委員会とともに潟の歴史や水質調査、生態調査、外来種(チクゴスズメノヒエ)の駆除などを行い、潟の環境保全に努めています。
 今後の課題は、地域の宝である十二潟をいかに次世代に引き継いでいくかということです。
 岡方地区コミュニティ委員会で検討した結果、2017年(平成29年)NPO法人「いいろこ十二潟を守る会」を立ち上げ、多くの皆様からのご協力をいただき、十二潟の用地の一部の約1.6ヘクタールの取得を実現することができました。
 ちなみに"いいろこ"は"良い所"という意味の方言です。
 今後も貴重な自然の残る地域の宝を守るために保全活動の充実を進めていきたいと思います。

“いいろこ十二潟を十二潟を守るために” 主な活動の歩み